

「あなたたちの天の父が完全であられるように、
あなたたちも完全なものとなりなさい。」
(マタイによる福音書5章48節)
現代に生きる私たちは、目から入る情報に偏りがちですが、そしてそれは便利ではありますが、一方で翻弄されてしまいます。耳は、自分では閉じることのできない器官です。「耳の中の神殿」という言葉があるそうです。「聴く」という人間の能力が深い意味を持っているということで、聴くことを通して、大いなる存在を自分の中に迎えることができるのかもしれません。
先日、尊者マドレーヌ・デルブレルについての記事を目にしました。彼女は20世紀のフランスにおける支援活動家、作家、神秘家として信仰の喜びを生きた尊者です。20歳ごろ、主と出会います。それは、信仰を持つ何人かの友人の証しに心を打たれたことによります。そこから、彼女の神の探究が始まったのです。自分の中に感じていた深い渇きに耳を傾けながら、「自身の中で苦悩の叫びを上げていたあの空洞」を理解するに至ります。それは、彼女が捜していた神でした。
信仰の喜びは、マドレーヌに完全に神に捧げる生き方を選ばせました。彼女は外へと向かい、貧しい人々の叫びに耳を傾ける心を持っていました。それは、教会と世界の真ん中で「路上の人々」と生活を兄弟愛のうちに分かち合うことでした。救いをまだ知らない人々に、福音の生ける神が私たちの心を燃え尽くさなければならないと感じたのです。
この難しい時代にあって、ともすると諦めたり心を閉ざしがちな私たちですが、個人的社会的状況の中にも主はおられることを想い、生活を他者と分かち合い、世界の喜びや苦しみと交わるようにと招いておられる方に耳を傾けてまいりましょう。勇気をもって、自分の心の中の深い渇き、空虚感に耳を傾けましょう。