December 2024 感 謝
一神は御ひとり子をお与えになるほど、この世を愛された。
それは彼を信じる人々がみな亡びることなく永遠の命を受けるためである。
(ヨハネによる福音書3:16)
西暦2000年の始まりのクリスマスの夜を思い出します。わたしはその頃、フランスのリヨン郊外の修道院に滞在していました。そこには、これから修道生活に入りたいと願う方たちが住んでいました。いつものように、たしか50サンチーム?硬貨(ユーロに切り替わる直前でした)を2枚持って坂の上にある教会に向かいました。1枚はミサ中の献金、もう1枚は教会の出入り口に帽子を広げて喜捨を求める人たちのためでした。南仏はジプシーやホームレスの方の多い地域です。
ミサが終わって教会の鐘の音に背中を押されるように夜の坂道を降りて修道院への道を急ぎました。夕食後は何も口にしないのが常ですが、この日は暖かいお茶とお菓子が待っています。既にシスターたちの何人かは戻っていて、来客のご婦人と歓談しています。「こんばんは。」わたしもお茶を片手に輪に入り、耳を傾けていると「そうですか。ソーヌ川の上流に車を止めて、そこでご主人と寝起きなさっているのですね。」「では、あまりゆっくりとできませんね。」…そう、この方は、さっき教会の前で喜捨を求めて立っていた人だったのです…。
これから修道生活を始めようとする若い姉妹が、神が人になったこと(受肉)を祝うクリスマスに、サプライズでそのご婦人を修道院のお茶に誘ったのでした。
2000年は大聖年の年でした。2025年は通常聖年に当たります。テーマは「希望の巡礼者」です。仙台教区では聖年にあたり、仙台地区の各地区ごとに1か所の教会と殉教地が巡礼所として指定されました。
私たちの生涯は巡礼であり、命の源である主イエスから流れ出る恵みにうるおされ、また、イエスさまが共に旅する人々の必要に心を配られたように、私たちの人生の旅人である仲間に心を配ることが求められています。
今年は大出光一先生の授業で5名の生徒たちの協力の下、来年2025年のステキな「巡礼のしおり」が完成しました。皆様にとって、希望のお年となりますように。一